都市化で少なくなる百年住宅『弄堂(石庫門)』

 

2018年10月、長かった上海生活の中でただ漠然(ばくぜん)と見ていた弄堂=LongTang(石庫門=ShiKuMenとも言いますが、石庫門という言い方は西洋様式の建築方法という言い方で使うことが多いようです)の写真を急に撮りたくなり、豫園近くの福祐路と人民広場近くの北京路、そして南京路近くの泰興路を歩いて来ました。

地下鉄南京西路駅そば、泰興路に残っている弄堂(石庫門)

 

このような感じの作りが石庫門様式。但しこの写真は2001年に造られた『新天地』の中の写真です

私も2003年くらいまでの間に何度か弄堂= LongTangの家に住んでいた友人の家を訪問したことがあります。
中は狭く薄暗いのですが、こてこての生活感があふれていて妙に懐かしくなってしまったんです。
ただ今回歩いて見て感じたのは、どこに行ってもマンションやオフィスビルがすぐ近くまで迫って来ていました。
確かにマンションに住んでいると弄堂は古くて不衛生に見えるのかもしれませんが、その古いごちゃごちゃとした弄堂= LongTangを歩いていると新しいものだけがいいというわけではないこともよく分かります。
そして弄堂= LongTangの中を歩いていて耳に入って来る言葉は全て上海語(街の中で耳にする言葉は標準語が多くなりました)

これこそが上海の生きている文化を守っているところなんだなと思わず感じ入ってしまいます。
私は江戸時代のような日本の長屋には住んだことがないのでハッキリとは言えませんが、中国の客家族(中国語=KeJiaと読みますが、日本語でもハッカと言います)の人からこんな話を聞いたことがあるので、集団生活の良さというものを改めて感じました。
中国人の広東省在住の客家の人から聞いた話を少し書いてみます。

客家土楼は千年住宅

そもそも客家族は昔の中国の中心地である『中原』に住んでいたそうです。
『中原』とは黄河の中流の地域で洛陽や開封といった中国の古い都があった地域です。

古代中国史の舞台が中原

開封(河南省)。残念ながら古い建物は文化大革命時に破壊されています。現存する建物は後に再建されたもの

元々客家の人達は中国古代王朝の中でそこそこの地位にあった人達であったのですが、小さな汚職だったり政治的紛争に巻き込まれたりして当時の都(みやこ)から遠い南方(福建省・広東省・台湾等)に流刑(るけい)になったり逃げて来たりした人々であったとのこと。

客家土楼(外に対しては城壁のような作り)

中側が社交場。全ての家の門が内側を向いているのが特徴

当然家族や親族と一緒に来ていますので、見ず知らずの地で共同生活をしていたとのこと。
ですから客家の人々が話す言葉が古代中国の標準語の流れを守っている言葉であり、今の中国の標準語は後に中国を統一した元(げん)や清(しん)等のモンゴル系の言葉が強く混じり込んでいるそうです。
友人に客家語を話してもらいましたが、全く音感が違っていて全然聞き取れない言葉でした。
中国人はよく広東語のことを『鳥の言語=何を言っているんだか分からない』なんてバカにするのですが、この話を聞いてからは話が逆じゃないのかいと思ったくらいです。
よくよく調べてみると客家族の人口って7,000万人もいるんです。
中国人の5%が客家族だったとは私も今回初めて気が付きました。
客家の人達の家は外に対しては閉ざし、中心の方を向いて各部屋の扉が作られていますから、どの家の子供が遊んでいても誰かが必ず目が届くようになっていますし、何かトラブルが起きた際には一緒に解決しようとするそうですから、そういった意味で上海の弄堂=LongTangも似てますよね。

弄堂=LongTangも場所にも拠るようですが、基本調理場やトイレは共同になっている構造ですので、『井戸端会議』同様、近所同志で知らない話はない状態にはなりますよね。

今の若い上海人は恐らく快適で清潔ななマンション暮らしを希望するのでしょうが、この生きた文化も残して行って欲しいなとは感じました。

それと日本人も如何に社会との交流を増やすかということを再度考え直す必要が来ていると改めて思いました。

1920年に建てられた家並み(北京路)

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